ウォーキングは読書である

明朝のあの冷たく、密度の高い空気を吸い、

薄暗く、静けさの中を歩く。そんな明日の幸せを想い、夜眠りにつく。

早朝のウォーキングは私にとって、

精神を研ぎ澄まし、感性を磨くために必要不可欠なものである。

朝眠りから覚める。いつものように、目覚ましが鳴る5分前だ。

AM.4:55、目覚ましが鳴る前に起きるのが習慣となっている。

ベッドに座り、今日も一日が始まることに感謝をする。

二階から階段で一階に降り、ダイニング&キッチンで朝食の準備を行う。

朝食は、ギリシャヨーグルトにミックスナッツをまぶし、ハチミツをかけたもの。

ギリシャヨーグルトとミックスナッツの違った触感が混ざり合い、それをハチミツの甘さが覆う。最近の私のお気に入りだ。

朝食が終わり、緑茶を飲みながら精神を落ち着かせ、おもむろにウォーキングの体制に入る。ジャージを着こなし、靴下をはいて、ウォーキングシューズを履く。

ジャージはもちろんスーパースキニーだ。

さあ出発だ、玄関のドアを開けて外にでる。

冷たくピンと張った空気を感じ、その空気を吸うことで、肺の中が心地よい。

夜の間に眠っていたものが呼び覚まされる。

隣の家の犬、リキがこっちを見ている。

白黒のオスの柴犬で、とても骨太で力強い。まだ子供でとても元気である。

リキを軽くかまってやり、ウォーキングに出かける。

朝日が昇りつつある。オレンジ色で昼間よりは弱い光ではあるが、

目線の高さにあるため、いくらかまぶしく感じる。

嗚呼、いつものウォーキングだ。

この朝の冷たい空気に身体を晒し、精神が研ぎ澄まされ、感性が磨かれる。

精神を研ぎ澄まし、感性を磨くこと。

これは人の感情や感覚を素早く精度よくキャッチするため、必要なものであると考える。

人生を豊かなものとするには、人とのコミュニケーションが不可欠である。人は一人では幸せになれない。人との関わりの中で幸せになれるのである。そのためにはコミュニケーションをとる必要があり、精神を研ぎ澄まし、感性を磨くことが必要になるわけである。

ウォーキングによって、朝の気配を感じる。朝食、冷たい空気、近所の犬、朝の太陽。

そんな中で精神は研ぎ澄まされ、感性が磨かれていくのである。

読書も同様に精神を研ぎ澄まし、感性を磨くものである。

作者の言葉遣いを文章から感じて、息遣いや鼓動を感じる。

そして、それらの魂を自分の中に取り入れ、作者の感性を疑似体験するのだ。

そんな中で精神は研ぎ澄まされ、感性が磨かれていくのである。

これは、私だけでないだろう。

読書好きな皆さんが感じていることではないだろうか。

ウォーキングは読書なのである。

ウォーキングも読書も「感じる」ことなのである。

どの感覚を使うのかは違うけれども、目には見えない何かを感じ取るのである。

そこにある微妙な何かを感じ取り、感動を味わうのである。

これを繰り返すことによって、精神が研ぎ澄まされ、感性が磨かれるのである。

そう、感じる力を磨くのである。

私は、ウォーキングを続ける。

人の感情や感覚を素早く精度よくキャッチしたいからだ。

そして人とのコミュニケーションをより質の高いものとしたいからだ。

そのことが人生の幸せにつながると思うからだ。

今日も同じようにウォーキングをしている。

今日も精神を研ぎ澄まし、感性を磨いて、

今日会う誰かと最高のコミュニケーションするために。

そしてそのコミュニケーションが

未来に向かって、成長し実りとなるように。

その実りは私にとって人生における果実なのである。

ウォーキングも読書も人生に繋がり、人生における果実を実らせる。 ウォーキングは読書なのだ。